罪悪感はどこからくるか
人間が苦手な人間研究者です。
罪悪感はどこからくるか。
罪意識はやってはいけないという❌感覚からくるものです。
ではやってはいけないの裏には何があるか。
ダメなことの対象正しいことが位置します。
しかし、正しいことってどこまでが正しいのでしょうか。
人殺し。
これ、正しくないですよね。
でも、戦争になると多く人を殺した人が英雄となる。
とどのつまりはその時代によって正しさは変化するもの。
正しいと思っていることが、次の瞬間には正しくない。
では、その❌感覚を⭕️にすればいいのでしょうか。
幸せとはどこの基準から物事を見るかという事
人間が苦手な人間研究者です。
今日、ダイニングとキッチンを片付けている時にふと思った事ですが。
あー、片付け苦手でダイニングテーブルに皿とか残っていた生活をしていたのに、キッチンまで片付けてかつ食器まで洗えている。
成長したなって。
人間ってどこで成長したって認識は人それぞれ。
1cm進めば成長したって認識できる人
1m進めば成長したって認識できる人
1km進めば成長したって認識できる人
それぞれですが、ちょっとの変化を楽しめるようになると幸せって認識する事が沢山出てくるのだなと。
当たり前が人間の認識を固定させ、不幸にする原因でもある気がします。
全てはシンプルと複雑の繰り返し
人間が苦手な人間研究者です。
全てはシンプルから複雑へ、そしてシンプルにをずっと繰り返している。
人間の思考も、自然も、宇宙も、細胞も、人間の身体も。
全てはシンプルから複雑に。
山は山でなく、川は川でなく、人は人ではなく、私は私ではない
人間が苦手な人間研究者です。
山は山でなく
川は川でなく
人は人でなく
私は私ではない
この意味をやっとつかみました。
全ては錯覚なんだなって。
知がない事を知る
すなわちそれがわかる事で心の平安が訪れる。
本当に
山は山でなく
川は川でなく
海は海でなく
酸素は酸素でなく
原子は原子でなく
光は光ではなく
エネルギーはエネルギーではなく
そして、宇宙は宇宙ではない
人間が苦手な理由④
人間が苦手な人間研究者です。
未熟な子ども時代に作られた自分因果。
俗に言うアイデンティティ。
私は何者であると言う規定が幼少期に作られます。
それが、本当にずっとその規定の元人生を無意識に動かしている。
何故ってプログラミングされてしまったから。
脳に。
脳ってある意味優秀なコンピュータ。
病気になってバグらない限り、後はやっぱり古くなるとコンピュータも動きが悪くなる様に脳も動きが悪くなります。
だから自分の因果につかまれて正しいをお互いやり合うとつかれるって思うから人間が苦手です。
理由は自分の内側にある。
変化しようとしても、変化する事が大変なのは実は脳に支配されているからなんですね。
変わらないモノは一つもない
人間が苦手な人間研究者です。
ちょっと、人間が苦手な理由から脱線しますが。
この世界に変化しないものは無い。
でも、何故か変わらないと人間は認識してしまう事があります。
自分の正しさ。
その正しいと植えつけられた時はそうだったかもしれませんが、時と共にその正しいが時代に合わなくなってきてしまう事がしばしばです。
では、その正しいを書き換えれば良いのですが、そうできない。
何故って人間が知を得るためには記憶を積み重ね、真っ白なノートに情報を書き足す様なもの。
でも、実はそこには欠点がある。
それは一度書いたものは消しゴムの様に消せないと言う事。
二重線は引けても、現時点では消しきれないと言う事が一番人間を苦しめている原因の一つなのかなと考えています。
全ては変化してるのに自分の正しさは変化しないって考えてみたらいかに論理的にはおかしいか、でも気づかないのですよね。